#4 渡邉康太郎さんとドミニク・チェンさんが語る「哲学」の5冊(「本屋の歩き方vol.1」より)
青山ブックセンターにまつわるゲストが、書店ならではの魅力的な空間を紹介しながら、本の魅力について語る「本屋の歩き方」。今回がvol.1の最終回となります。
このnote版「本屋の歩き方vol.1」は、Youtubeで公開した動画を文字起こし・編集をし、書籍の紹介に関する部分を一部抜粋したものになります。
今回紹介するのは「哲学」の5冊
最終回の第4回は「哲学」をテーマに、ドミニク・チェン さん・渡邉康太郎さんが取り上げた5冊の本を紹介します。
『プルーストとイカ』
『デジタルで読む脳 × 紙の本で読む脳』
『暇と退屈の倫理学』
『中動態の世界』
『アメリカ紀行』
(これまでの紹介)
第1回「特設棚」
第2回「翻訳」「海外小説」
第3回「絵本」「美術」「漫画」
出演者(敬称略)
ドミニク・チェン:研究者
渡邉 康太郎:Takram コンテクストデザイナー / 慶應SFC特別招聘教授
山下 優:青山ブックセンター本店 店長
『プルーストとイカ』
渡邉:これ、身体コーナーですね。身体コーナーで、まわりには『内臓とこころ』(三木成夫、河出文庫)とかね、生命形態学とかね、いろいろある中ですけど、エピジェネティクスとか。この『プルーストとイカ』。これ、すごく良い本だったです。
<文字・読書は、脳を劇的に変える!>
古代の文字を読む脳から、ネットの文字を読む脳まで、ディスレクシア(読み書き障害)から、読書の達人まで、脳科学×心理学×教育学×言語学×文学×考古学をめぐり、解き明かす。(インターシフト内容紹介より)
渡邉:メアリアン・ウルフっていう人が何者か、というか、これは何の本か。表紙に小さく書いてもあるんだけど「読書は脳をどのように変えるのか?」。
ドミニク:脳科学者なんですか?
渡邉:この人は脳科学とか神経医学とかもやってるんだけど、たぶん出自は文学なんですよ。最初はたぶん文学修士の、タフツ大学で教えてる方です。おそらく実の子どもがディスレクシアなんですね。
ドミニク:失読症ね。
渡邉:失読症で、それに関連して脳の研究も始めた。今は読字、字を読むということと、脳の関係について、世界の第一人者なのだと思います。この本は、そういった問題意識を持った著者が人間の文字の発明の歴史、それがいかに人間の脳の配線を変えていくかを辿っていく。
タイトルに「プルースト」とありますが、小説家のマルセル・プルースト自身、紅茶に浸したマドレーヌの香りで遠い記憶が蘇るくらい脳がビンビンしてる人です。同時に我々自身も、そういった小説を読む中で、いろんなことを回想したり、共感したりしなかったりしている。脳の読字中の働き。
渡邉:イカっていうのは、医学生とか生物を勉強してる人が解剖する時にイカの図太い軸索を用いる。蛍光を入れたりします。ものすごく太い神経の束があるってことで、脳を研究する時のシンボルになっています。
ドミニク:どうなってんのかっていう話になる。
渡邉:彼女は、人間は今、「読字の第三次革命の中を歩いてる」って言うんですよ。最初の革命は、文字が生まれた5~6,000年。それは楔形文字やヒエログリフ。人間はもともと、文字を得てからまだ5~6,000年しか経ってない。脳と文字っていうのが距離遠いんですね。
だから、無理やり脳の複数の箇所を、相互にネットワークさせながら文字を読めるように育む必要がある。脳のネットワーク構築が必要で、生まれつき、それが苦手な人がいるのは全然不思議でない。だから失読症も起こる。
渡邉:文字の発明が第一次革命だったとしたら、第二次革命はグーテンベルクの活版印刷です。いろんな人が文字に触れるようなプラットフォームができてきた、ということですよね。第三次革命は、デジタルデバイスをみんなが持ち始めている現在です。
”深い読み”と彼女は呼ぶんですけど、現在、人は”深い読み”ができなくなってきている。脳の機能自体も変わってきてしまうよ、と警鐘を鳴らしているんですね。
『デジタルで読む脳×紙の本で読む脳』
渡邉:ちなみにこの続編が最近出ました。『デジタルで読む脳 X 紙の本で読む脳』という題で、日本語版の刊行は2020年です。前作(『プルーストとイカ』)が2008年だから、スマホはギリギリあったけど、スマホとソーシャルメディアの組み合わせの普及までは、まだ行ってない時代ですね。
ドミニク:浸透はしてない時代ですね。
かけがえのない「読書脳」が失われる前に、新たな「バイリテラシー脳」をいかに育てるか--「読む脳」科学の世界的リーダーによる画期的な提唱!(インターシフト内容紹介より)
渡邉:著者は、かつてソクラテスがギリシャで文字の普及に反対だった話に触れています。教師不在で安易に知にアクセスする学習の副作用を危惧している。それを引き合いに、テクノロジーの利用による読字や学習が人間に与える影響と相似形だというところまでは切り込んでる。
「スマートフォンをはじめとするデジタル機器の使用過多が俺たちの生活をダメにしちゃってる」という主張って、ここ数年随所で挙がってるじゃないですか。Googleの元プロダクトマネージャーのトリスタン・ハリスの主張とか。でも、前書の時点では当然、その辺の話まではいってないんです、社会が。
それを踏まえたのが、今年出た続編の本なんです(『デジタルで読む脳 X 紙の本で読む脳』)。これは私物で、家から持ってきましたが、この映像が配信されている頃には、山下店長がABCに仕入れてくれてるはずです(笑)。
山下:横に並べます。
渡邉:これはみんなが子育てにiPadを使って、親たちもあまり読書をせずに、どちらかというとネットの記事を読んでいるのが普通になった時代に、それが脳にどういう影響を及ぼすかというところまで踏み込んでいる。
ドミニク:合わせて読むべきですね。これは今日いただきます。
渡邉:これはどっちも読んだ方がいい。超いい本です。
ドミニク:これは我々本読みからしたら、根底の部分に関わる内容だから。テクノロジーを安易に否定するのも意味のないことだし、でも、脳の回路や認知の仕組みが違うということも気になるので、第一線の人がどういう風に語ってるのは、めちゃくちゃいいじゃないですか。
渡邉:2冊目になると「バイリテラシー脳」っていうくらいだから、テクノロジーそのものは否定しない。どうやって両立させるかです。例えば「2歳から5歳までどれだけ紙の本に触れたか」というのが、子供の読字の能力の前提を決めるっていう話があります。
ドミニク:やっぱりそうなんだな。
渡邉:ただ文字学習を始めるのが早すぎると、かえって7歳以降の言語の習得が遅くなることもあるらしい。結構ややこしい。
渡邉:人間にとって、文字を追うというのは、脳のいろんな場所を同時に賦活させるという体験です。ミラーニューロンとかも働く。スパイものの小説を読んでいて、スパイが「電車から飛び降りる時」というのは、僕たちの運動を司るニューロンも発火する。本というのは共感を促すというけど、それはシンボリックな意味だけじゃなくて、脳がガチで共感している。
ドミニク:本当にVRなんですね。
渡邉:本当にVR。そういう前提がある。かつ、デジタルの本だと刺激されない、紙の本だけの特性があって、脳の空間野が賦活するんですよ。「あの本の前半の右下あたりにキーワード出てきたな」って覚えてるじゃないですか。なんとなく大事なところって。
ドミニク:それが電子書籍でリフローとかになっちゃうと、その場所がよくわからなくなってしまう。
渡邉:iPadで二つのアプリで画面をスプリットすると、ページ割りも変わったりするし。五感を刺激して、紙に触れながら、匂いを嗅ぎながら本に触れて、文字にも形がある、意味がある……っていう複数のインプットを同時にに覚えていくと、どんどん脳が鍛えられていくという話なんですね。
共感することで想像力を育む。そのとき何が起こっているのかというと、「批判的な読み」も鍛えられるんです。今社会がフェイクニュースに踊らされるのは、著者の言うように「深い読み」ができてないからかもしれません。批判能力が低くなって、どんどんいろんなものを受け入れる。「浅い読み」に偏って、フェイクニュースがもっと流布するループにハマっちゃう。
ドミニク:文字の読み方のアーキテクチャーの部分まで掘り下げると、そういう考え方も出てくるというわけですね。めちゃくちゃ面白い。
渡邉:フェイクニュースというキーワードまでは出てこないんだけど、明らかにその辺の連想を誘う。まじ現代読んでおいた方がいい2冊です。これは、電子書籍では買えないので、紙の本で。
『暇と退屈の倫理学』
渡邉:哲学(国内)コーナーですね。哲学者の國分功一郎さんによる『暇と退屈の倫理学』ですね。この「増補新版」のほうが、新しい原稿が入ってていいと思います。可愛い本ですよね。分厚く見えるけど、結構すっと読めます。
旧版『暇と退屈の倫理学』は、その主題に関わる基本的な問いを手つかずのままに残している。なぜ人は退屈するのか?一これがその問いに他ならない。増補新版では、人が退屈する事実とその現象を考究した旧稿から一歩進め、退屈そのものの発生根拠や存在理由を追究する。新版に寄せた渾身の論考「傷と運命」を付す。(太田出版内容紹介より)
渡邉:いま、みんなコロナで家にこもっています。家にこもっているときに、本当は仕事あってリモートワークをしなきゃいけないのに、なぜだか「なんか暇だな」とか「退屈だな」と感じちゃう。逃避行動に及んでしまったり、それを繰り返してしまうのが人間の行動心理。そんなときに読みたい本です。
渡邉:パスカルなんかも言っています。人間のあらゆる悩みは、自分の部屋に閉じこもっていればいいところを、部屋から出ちゃうから訪れる、とか、人間は退屈に勝てないんだ、ということを。本書では、なんで人は暇を感じてしまうか、とかいつから人間は暇を感じていたのか、みたいな歴史的、人類学的な経緯に触れつつ、暇とか退屈について、過去の人がいかに考えてきたかも論じています。
デザイナーとして僕が大事だなと思ったのは、帯にも書いてありますけど「わたしたちはパンだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾られねばならない」。
ドミニク:そうですよね。本書をこう一言で表すようなメッセージ。
渡邉:生きるのに最低限必要な「パンを得る」ところだけに注力しきれないのが人間で、どうしても心の余白を埋めるような行為をしてしまう。だから、文化とか芸術があると思うんですけど。アーツ・アンド・クラフツ運動のウィリアム・モリスの言葉をもとに、それを一歩進める言葉を、國分さんが作ったんですよね。
ドミニク:僕がこの本を読んでてすごく面白かったのは「好奇心とはなんだろうということを考えさせられたんですよね。「好奇心の倫理学」があるんじゃないかと最近思っていて。例えば、この本の文脈からちょっと飛ぶんだけど、ヘイトスピーチとかね。移民を差別するとか、僕も身近なところで人種差別にあうみたいなのがあって、ちょっと怒りのツイートとかをしちゃってたんですけど。
渡邉:そうでしたか。
ドミニク:コロナの状況で、アメリカとかヨーロッパで道ゆくアジア人が罵倒されるとか、いろんな方向で分断みたいなのがあって。「なんでそういうことが起きちゃうんだろう」ということをずっと考えているのが「暇と退屈から好奇心というものが実は生み出される。好奇心によって他者に関心を向ける、注意を向ける、それが正しくできれば差別というものを軽減できるんじゃないかな」と最近考えてて。
他者への好奇心みたいなね、恐怖と好奇心は隣接しているものだと思っていて。恐怖が好奇心になる、そうなったときに、おそらくそうしなきゃいけないとか、隣人を大切にしないといけませんという道徳のルールじゃなくて、もっと自分の個人的な欲求として「他者に興味を持つということの倫理性」みたいなものを語れないかなと思っていて。おそらくこの本とも改めて接続できるなと、いま康太郎さんの話を聞きながら思っていました。
渡邉:ありがとうございます。この本は一見分厚く重いように見えて、すごく読みやすく面白いから、ぜひ皆さんにおすすめです。デザインの仕事では、どうしてもある要件を満たして、何かのニーズに応えることが多くなります。だから、当然パンっぽいものづくりになってくるんですよね。
そうすると、特定のスペックを満すなど、数字目標みたいなものももちろん出てきます。だけど、それ以外の、文化に資するようなものも、ちゃんとデザインの領域としてあるはずです。
渡邉:その「パンとバラのバランス感覚」とか「パンなのにバラが含まれている」「バラなのにパンを満たす」みたいな中間領域が、いかに可能なのか。デザインを、その起源である大量生産・大量消費にのみに寄り添わせてしまうと、どうもパンに偏りがちになります。
だから、そうじゃないところにデザインの責任をちょっと広げたいという思いがあるんですよね。パンとバラのバランス感覚とか両立みたいなことが、個人的なテーマになっていて、だからこそ『コンテクストデザイン』みたいな本を書いたという。
ドミニク:なるほどね。余剰の部分というか。合目的的じゃないことっていうね。
渡邉:そうそう。合目的的すぎると、どうしても殺伐としてくるから、バラを飾りたくなるっていうことなんですけど。僕も最近は、近所の花屋さんで積極的に花を買うようにしています。
『中動態の世界』
ドミニク:國分さんと言ったら、やはり、この『中動態の世界』。合わせて紹介したい。「古語、古い言葉には、能動態・受動態じゃない”中動態”というのがある」ということから、意思と責任を再考するという。第16回小林秀雄賞受賞作ですね。
自傷患者は言った「切ったのか、切らされたのかわからない。気づいたら切れていた」。依存症当事者はため息をついた「世間の人とは喋っている言葉が違うのよね」一一当事者の切実な思いはなぜうまく語れないのか?若き哲学者による《する》と《される》の外側の世界への旅はこうして始まった。ケア論に新たな地平を切り開く画期的論考。(医学書院内容紹介より)
渡邉:すごいですね。これも取ってるし、毎日出版文化賞も取っている。
ドミニク:W受賞で。これは僕の仲間の間でもすごく読んで語った本で、めちゃくちゃ面白いですね。「中動態という概念があった」とかというのもそうだし、ヒマリン(『暇と退屈の倫理学』)もそうなんだけど、固定観念というのが僕たちの社会にはすごくたくさんあって、それを解きほぐしてくれるというのが、哲学者の仕事の重要なパートなのかなというのを思い起こさせてくれるというか。
渡邉:そうそう。中動態について、小倉ヒラクさんとTakram Radioで話していて「中動態みたいな、いま馴染みのない『態』を考えるんだったら、『発酵態』ていうのも考えたいよね」っていう話になって。
ドミニク:それで発酵態って言ってたんだ!
渡邉:それで発酵態っていう。
ドミニク:発酵態で動詞を活用するとどうなるんだろうね。
渡邉:どうなんでしょうね。発酵態活用。
『アメリカ紀行』
渡邉:これもね、楽しく読みました。千葉雅也さんの『アメリカ紀行』。サバティカル中に彼がボストンに行ったときの随筆なんですけど。
哲学の中心はいま、アメリカにあるのか?ベストセラー『勉強の哲学』の直後、サバティカル(学外研究)で訪れたアメリカの地で、次なる哲学の萌芽は生まれるのか。聖なるもの、信頼、警報、無関係、分身、二人称 - 32のvariationsで奏でるアメリカ、新しい散文の形。(文藝春秋内容紹介より)
ドミニク:エッセイ。
渡邉:エッセイ。僕はこの中でハッと目を見開かれたのが、英語文化って、日本語と違って主語とか目的語とかを、めちゃくちゃ明確に指定するじゃないですか。
ドミニク:うん。そうですね。主語抜きで話せないですからね。
渡邉:例えば、How are youのyouだったり、My name isのMyだったり、そのちょっとしたやりとりの中で「自分と相手というのを明確に分けなきゃいけない」というのが、日本語と違うところ。となった時に、スタバでちょっとコーヒー頼む時でさえ、名乗らなきゃいけないとか、挨拶がわりにスモールトークをしなきゃいけない。これに対する違和感を持つ。
ドミニク:違和感なんだ。
渡邉:彼は、日本のコンビニの表層的なコミュニケーションをすごい懐かしむんですよ。
ドミニク:あー。
渡邉:夜、煌々と光った白い場所に入っていって、自分も Nobody で相手も Nobodyという状況を経験する。双方誰でもない存在で、 I も Youもない状態でいられる。ある種、救いを得る教会みたいな意味を持っている、ということを言っていて。コンビニ教会説。
ドミニク:コンビニ教会説。面白い。
渡邉:これは、びっくりしました。
ドミニク:僕なんか逆に、ヨーロッパ行ったりするとコンビニでもスモールトークしたり。逆に、フランスなんかでは普通のお店や服屋さん、食べ物屋でも挨拶しない客の方がおかしいと思われる。
渡邉:少ないですからね。
ドミニク:そういう、いわば空気みたいなものがあって。それをじっくり味わってから日本に戻ってくると、逆にすごく「味気ないな」というか「素っ気ないな」という風に感じたりもするんだけど。多分、文化差というのは双方向の違いで、「どっちが良い悪い」ということじゃないと思うんだけどね。
ドミニク:「両方を使い分ける」というと言い方が変かもしれないけど、主語がないというのもね。だって日本語って「どう?」だけで成り立っちゃう。「どう」って、英語で直訳したら「How?」。原始人みたいになっちゃう。
渡邉:英語に切り替えた時に一番悩んだりするのが、ブレストしていて「自分の言ってるアイデアは、自分の中では面白い。でも相手に面白いかはまだわからない」っていう時。日本語だと語尾に「ねっ?」とか「じゃない?」「どうかな?」みたいなのを、ポンポンポン。
ドミニク:相槌を求める。
渡邉:そうそう。いま、入ってきて、みたいな。それを英語だと、一度自分で言い切らなきゃいけない責任みたいなものが生じるじゃないですか。それがなんか上手くいかないんですよね。
ドミニク:仕事の悩みがでてきた。
渡邉:そういう部品が、もっと英語で欲しいなと思います。
ドミニク:両方を混ぜこぜにした文法が、僕は良いんじゃないかなと思うんだけど、それが通じる人っていうのは、まだなかなか母数が少ないですね。
渡邉:確かに。それは思ったりします。僕は、たまに日本語じゃない言語を喋ってる時に、どっちかというと「語学のスキルよりも精神力を求めれる」と感じることが多くて。いつもの自分のモードでいられるかどうかの方が「ある単語を思い出せるか」とかより、圧倒的に大事な問題。
ドミニク:わかるわかる。
渡邉:だから英語なりフランス語で質問された時に、一度相槌を日本語で打つっていうのをたまにやるんですよね。
ドミニク:それはありますね。
渡邉:「なるほど」とか言うと、一度「いつもの自分でいて良いんだよ」っていう自己説得、オートクライン効果みたいなのが発生して、取り戻せる。
ドミニク:「なるほどね」みたいな。
終わりに
渡邉:なんか脱線しちゃったけど。
ドミニク:いやいや面白いですね。
渡邉:良かったのが、本を紹介しながら、児童書の左奥から漫画の右手前まで、本屋さんのいろんな本棚を巡れたところ。
ドミニク:ただ、あっち見てください。
山下:デザイン、写真、建築。そして美術も素通りしたけど。
渡邉:そういえば僕はデザイナーのはずなんだけど、デザイン本を紹介してない。
ドミニク:やはり本屋の魅力の大きなものの一つは、大型本ね。写真集とか画集とか。
渡邉:それを手に取って。
ドミニク:手に取ってっていうのはあるんだけど、それはまた別の機会のしないと。
渡邉:そうですね。さっき後ろの背景に映り込んでいた某純文学作家がですね、おそらくこの本屋の歩き方@ABCその2を担当してくれんじゃないかと思いますんで。
ドミニク:あ、某作家さんはお出まし願わなくて良いんですか。
渡邉:ちょっと最後に言葉をもらいましょうか。
ドミニク:覗いてみましょうか。
渡邉:まだいるかな。あそこに。コメントをもらって良いですか。
朝吹:お子様用の椅子なんで、普段は決して座らないんですけど、ちょっと今日は座らせていただきまして。
一同:笑
渡邉:本屋の歩き方@ABC2回目に登場してくださる小説家の朝吹真理子さんです。
朝吹:こんばんは。顔の大半がマスクで埋まっててすみません。
山下:第2回、お願いします。
渡邉:ということで、全然違った本棚の間を歩いてくださるんじゃないかと想像します。ということで、結構長時間になっちゃったけど。
ドミニク:はい、エクスペリメンタルな1回目を終えたいと思います。
渡邉:ABCならではの歩き方ができたんじゃないかと思います。
ドミニク:これ永遠にできますね。やろうと思ったら。
朝吹:あ、小倉ヒラクさんの本が売ってます。
渡邉:あ、そういうことで言うと『コンテクストデザイン』ていう私の最近の本、今は青山ブックセンターでしか買えませんので、ぜひお求めください。
山下:ドミニクさんの新著もね、こないだ日経新聞で一位だった。ABCランキングで1位も。
朝吹:おめでとうございます。
ドミニク:ありがとうございます。おかげ様です。
渡邉:ということで、今日はありがとうございました。
note版「本屋の歩き方 vol.1」と次回について
ドミニク・チェン さん・渡邉康太郎さんによるnote版「本屋の歩き方 vol.1」は、全4回計21冊を紹介していきました。現在vol.2の作成も進行中です。こちらもぜひお楽しみくださいませ。
第1回:特設棚
第2回:翻訳・海外小説
第3回:絵本・美術・漫画
動画版「本屋の歩き方」